同窓会「四極会(しはすかい)」について

大分大学経済学部(高等商業学校、経済専門学校を含む)同窓会は「四極会(しはすかい)」といい、四極山(猿で有名な高崎山)に由来して名付けられました。

 

リンク

四極会本部
東京四極会

「四極会」発足の経緯について

  • 大正14年3月9日 高商第1回生及び追加卒業生含め、110名の高商第1回生が卒業し、大分高等商業学校同窓会が発足。
  • その後、昭和初期に同窓会の名称を「四極会」に決定。
  • 昭和32年5月5日、開校35周年記念四極会全国総会が開かれ、高商、経専、大学それぞれの同窓会が合併して現在の「四極会」が発足。

 

四極会ホームページより

「四極会」の名前の由来

「四極会」は、高崎山の古名である「四極山」にちなんで名づけられた。
古代、高崎山は、四極山と呼ばれており、開校記念歌の中にも「紫こむる四極山」と詠われていることからこの名前に決まった。


また万葉集にも「四極山(しはつやま)うち越えみれば笠縫(かさぬ)いの 島こぎかくる棚無し小船(おぶね)」と歌われている。
作者は、持統・文武天皇時代の宮廷歌人、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)

高崎山と四極山

高崎山は大分市と別府市の境界に位置し、標高628mの鐘状火山でサルの生息地として有名な山です。


四方を見極めることができる山という意味から四極山とも呼ばれています。そのため奈良時代には烽(とぶひ:官用の軍事施設、狼煙台)が置かれていました。また海から直接屹立しているため、頂上に築かれた高崎城は九州随一の難攻不落の堅城として有名でした。
伝説では平安時代末安倍宗任が築城し、鎌倉時代初め大友氏の豊後入国に反抗して土豪の大神一族がここを拠点にし戦ったとされています。その後南北朝の戦いでは大友氏の拠城として、懐良親王をはじめとする南朝方の攻撃を受けましたが陥落することはありませんでした。

 

天正14年(1586)島津軍が豊後に侵入、豊臣秀吉の援軍を受けた大友義統は一時高崎城にろう城しましたが、島津の追撃を恐れ龍王城(宇佐市安心院町)に退却しました。このことを知った秀吉は激怒したといいます。文禄2年(1593)大友氏の廃絶とともに廃城となり、現在は土塁、空堀、石垣などを残すのみとなっています。

 

豊の国情報ライブラリーより